国民年金の付加年金に役所は入ってほしくないのかな?
早いものでもう金曜日です。
自営業になったので、土曜に書いてもよいのですが、きっと書かないので今日のうちに。
退職前後の話とか「無職」の間の心持ちとかも書きたいのですが、きちんと準備しないとグダグダになりそうなので、今日はやめときます。
国民年金の付加年金とは
お勤めの方はご存じないかもしれませんが、自営業者等が加入する国民年金には、付加年金という上乗せ制度があります。
毎月の保険料が400円と決まっていて、年金保険料と一緒に納めると、将来年金を受給するときに200円×納入月数 分の金額が支給されます。
例えば、12ヶ月だけこの付加年金を納めたとすると、将来200円×12=2400円/年を受け取ることができます。
納めた額が400円×12ヶ月=4800円なので、2年間年金を受給すれば元が取れて、3年目以降は死ぬまで得をするという大変素晴らしい制度です。
自分は社労士の勉強をしているときに存在を知り、自分が1号保険者になったら納めようと思っていました。
出張所では付加年金の申込みができない
前々回記事でも書きましたが、7月上旬に国民健康保険と国民年金の加入手続きを行いました。
自分は23区内に住んでいるのですが、区役所は遠いので自転車で行ける近所の出張所で申請書に記入し手続きしました。
そのとき、申請書には付加年金についての記載欄がなく、申し込むことはできませんでした。
前回書いた通り、国保が「被保険者でない世帯主」になるという複雑さもあったので、いずれ機会があるだろうと思い質問もしませんでした。
結局区役所で
国保、国民年金の納入通知書が8月になってそれぞれ送られてきました。
国民年金は8月16日ころ、国保はそれより前、8月初めくらいだったでしょうか。
国民年金の通知書と一緒にパンフレットが入っていて、そこに付加年金のことが記されていました。
「区役所の国民年金係まで」となっていて、HPを見てもそこでしか申請できないようだったので、8月20日に区役所に行きました。
窓口で申し出る前に、置いてあった国保・年金の申請書を何気なく見ると、付加年金を希望して〇をつける欄があるではないですか!
最初からここに来れば申請できたのです。
窓口の方に聞いてみたら「出張所では申し込みできない」ということでした。
何たる不便!!
お得な制度=役所にとっては不都合だから実際は入ってほしくないという気持ちの表れなのだろうか・・・?
私の場合、手続き自体は別のA4白黒コピーの申請書に記入押印するだけでした(年金番号を書くので、年金手帳は必要)。
申込み月からしか入れないので、7月は入れないのだそう。
それはまあこっちも黙ってたんだから仕方ないですが。
自分の本来の保険料の告知書は既に届いているので、後日、付加年金だけ(400円/月)の告知書が送付されてくるそうでで、来年3月までは告知書2枚で納めるそう。
まあいいけど忘れないようにしないと。
手続きして3週間経つのにまだ来ないし・・・。
退職後、パートの妻と子どもが被扶養者になれず、国民健康保険に加入した話(後編)
前回の記事はこちらです。
fp-uta.hatenablog.jp
任意継続になるときの被扶養者認定
私のように被扶養者のいる人が会社を退職して任意継続となる場合に、家族が引き続き被扶養者となれるかどうかの認定は、健保によって条件が異なるようなのです。
退職前に被扶養者であれば引き続き被扶養者となれる健保もあるようですが、私の加入していた健保(会社の健康保険組合)は任意継続となる際に改めて確認するという制度でした。
まず、被扶養者は本人の収入の2分の1以下という条件があり、妻はパートで働いているので、私がもらえる予定の雇用保険(いわゆる失業保険)を考慮しても、この条件を満たせませんでした。
さらに、妻のほうが年収が多いと判断され子どもたちも被扶養者となれませんでした。
全員国保か自分だけ任意継続か
この結果、どうしたらよいか。選択肢は3つありました。
① 私だけ任意継続、妻と子ども2人は国民健康保険(国保)に入る
② 全員国民健康保険に入る
③ 妻が働く時間・収入を増やし、妻が健康保険に入って子ども2人はその被扶養者となる。私は国民健康保険。
保険料が一番安くなりそうなのは③でしたが、健康保険料のために働き方を変えるのは本末転倒では、ということで却下。
①と②でどちらが保険料が安くなるかを計算し、①を選択しました。
国保の保険料は加入人数と加入者の前年年収で決まるので、妻のパート収入だけならそれほど高くないからです。
退職後、パートの妻と子どもが被扶養者になれず、国民健康保険に加入した話(前編)
生きてます!
会社を退職して、月2回くらいは記事を書こうと思っていたのですが、
結局1度も更新しないまま2か月が過ぎてしまいました。
毎度のことながらすみません。
体調を崩したわけではなく、長い夏休みを楽しみつつ少しずつ開業準備をしていました。
一応、今日から開業となりましたが、こちらのブログは変わらず匿名でやっていきます。
(いつまで続けられるか・・・)
大学出てすぐ就職した会社にずっといたので、健康保険や年金の手続きをしたことがありませんでした。
社労士なのでどんな手続きが必要かはわかっていて、それほど困らず手続きできました。
が、健康保険はちょっとわかりにくくて調べてもなかなかわからなかったので、備忘兼ねて書いておきます。
長くなるので、今日は途中まで。
健康保険制度について
健康保険制度について、よく知ってるよという人は読み飛ばしてください。
自分も社労士の勉強するまでよくわかってなかったのですが、健康保険には①75歳未満の会社員や公務員とその扶養家族が入る健康保険②75歳未満の①以外の人が入る国民健康保険③75歳以上の人が入る後期高齢者医療保険の3つがあります。
この①に「健康保険」という名前しかないのがまずわかりにくさの元凶です。
わかりにくいので、わたくしの記事では①を「勤労者健保」と書きます。
(「サラリーマン健保」にしようかと思いましたが、女性が入れない感じがするのでやめました)
勤労者健保に入れるのは会社員の中でも週30時間以上(従業員501人以上の会社は20時間以上)働いている人だけです。
勤労者健保には「被扶養者」という考え方があり、夫が妻や子どもを扶養していれば夫の加入している健保に入れます。
被扶養者が何人いても、保険料は変わりません。
任意継続しても被扶養者になれない?
パートで働いている主婦でそんなに働いていない人は夫の扶養に入っているはずです。
私の場合、会社に勤めている間は、会社の健康保険組合に加入していました。
妻は月10万円ほどのパート収入がありましたが、扶養に入れるレベル(自分で健保に入れるレベル)ではなかったので、2人の子どもとともに被扶養者となっていました。
私は会社員を辞めてしばらく無職でしたし、自分で開業しても勤労者健保には入れません。
こういう場合、①勤労者健保の任意継続被保険者となる②国民健康保険に加入するの2つの選択肢があります。
収入にもよりますが、私の場合①を選んで妻子も引き続き被扶養者となれれば保険料は安く済みます。
しかし、私の妻子は被扶養者となれませんでした。
理由と結果は次回の後編で。(今週中には書きます)
終わったーーー!
1度も更新しないまま、6月最後の日になってしまいました。
そして、21年3ヵ月勤めた会社の最終日ということになります。
と言っても日曜なので、最後の出勤は金曜に済んでますけどね。
花束をいただき、温かい言葉をたくさんいただき、とても感謝しています。
6月は忙しかった!
・退職に向けた会社でのあれこれ
通常業務・引継ぎ、挨拶や連絡、送別会等
・CFP試験(3科目 6/9,16)
・FPとしてセミナー実施とその準備
・高校の部活の同窓会(参加しただけですが)
・社労士登録、入会
・子どもの授業参観(2人とも、別の日)
・上の子のピアノの発表会
・マンション理事会
・野球観戦2試合、サッカー観戦1試合
スポーツ観に行く余裕があったんじゃないか!という突っ込みはご容赦ください。
会社を辞めるのは初めてで、21年勤めたので挨拶するしなきゃいけない人もたくさんいて
でも言い出しにくくて、それだけでもすごく大変な1ヵ月でした。
そんな中で次への準備にも結構な時間が必要となり、本当に気の休まる暇がない日々でした。
(毎日がこういう状態の働くお母さんとかいるんだろうな・・・)
家族の応援・支えもあって、どうにか乗り切ることができてものすごくホッとしてます。
以上、更新をサボった長い言い訳でした。
明日からは無職となり、しばらく開業準備・充電期間となります。
7月は時間はできるはずなので、ブログで6月にやったことを振り返っていきたいと思います。
あんまりない、貴重な経験がたくさんあったので。
マイナンバーカードを入手しました
また久しぶりの投稿です。
マイナンバーが記載され顔写真も入った「マイナンバーカード」をやっと手に入れたので書いておきます。
確定申告に間に合わず
話は2月に遡りますが、だいぶ前に買ったICカードリーダーが確定申告に使えそうとわかり、電子申告のためにマイナンバーカードを入手することに決めました。
区役所に申請書を出しましたが、しばらくして不備があるとの通知があり、申請書出し直しに。
これで今年(去年)の確定申告には間に合いませんでした。
マイナンバーの「通知カード」が来た後に引っ越したことが原因でしたが、どうしてそういう結論になるのか何度説明を読んでもさっぱり理解できませんでした。
そもそもマイナンバーは国の制度なのに、引っ越したらダメってなんだよ、という感じです。
マイナンバーについては、使いにくく・普及させないようにする巨大な力が働いているのではと思ってしまうくらい不可解なことが多いです。
受取へ
「マイナンバーカードを渡す準備ができました」というお知らせは4月初め?に届きました。
区役所か指定の出張所に受取りに行く必要がありましたが、仕事がピークでチャンスがありませんでした。
いい加減行かないと住民票が必要な予定もあるし、ということで昨日行ってきました。
行く前に、予約をする必要があります。
ネットでも予約できるのはいいですが、なぜか火曜か金曜のみ。
そして、間際になると予約変更は出来ず、一旦キャンセルして当初受取日より10日後以降に受取可能、という不便さ。
マイナンバーカードの所在を厳重管理しているが故のようですが。
時間通り受取りに行って来意を告げたところ、出張所の端に案内されました。
そこは他の来所者から見えぬよう衝立(ついたて)が設けられたスペースです。
指定の書類を持って行ったので、受取自体は10分もしないで終わりました。
厳重な管理を求められる(=管理が極めて面倒)ことは会社でも知っていましたが、ここまで必要なのでしょうか?
もし自分のマイナンバーを誰かに知られてしまったら、どんな風に悪用されてどんな被害が生じるのでしょうか?
キャッシュカードやクレジットカードなら、どうやって悪用されるかがすぐわかります。
なので、万一なくしたときの重大さや対処法もすぐ思い浮かびますが、マイナンバーは違います。
例えば、もしあなたが隣に住んでる人のマイナンバーを知ってしまったとき、(絶対ダメですが)
それを悪用して儲ける方法が思い浮かびますか?
皮肉ではなく、知ってる人がいれば教えてもらいたいものです。
退職が決まってから2ヶ月働いて
ようやく令和初記事です。
平成とともにブログも終わり…になりかけてました。
投資ネタを書く余裕はなく、現況を備忘録的に書きます。
読者無視ですみません。
現在の状況
21年勤めた会社を退職したい意向を3月に上司に伝え、6月末で退職することを合意。
直属の上司他数人のみ知っていて、職場でオープンにするのは5月半ば~下旬となった。
まだ、周囲は辞めることを知らない状況で(素知らぬ顔で)働いているというわけです。
辞めると決めてる会社で今まで通り働けるのか不安もありましたが、自分の場合は意外といけました。
前からやる気なかったと言えばそれまでですし、そんなこと言ってられないほど仕事があったというだけのことかもしれません。
上の人の暴言を聞いたり、突然の方針転換とかあると、内心「辞めると決めてよかった」と思います。
部下になんと言うか
職場でオープンにするタイミングが近づいて来ました。
部長以下12人の部で自分はNo.2なので、10人が部下な訳です、一応。
部下をある意味“見捨てて”自分だけ辞めてしまうのだから、申し訳ない気持ちはすごくあります。
悪いことしたわけでもないんだが、という気持ちもありますが、迷惑かけるのは間違いないし、やっぱり謝るしかないのかな。
それより、理由をどう説明するか悩んでます。
上司に打ち明けるときは時間もあったし思い付くまま気持ちを伝えさせてもらったけど、部下にはそうはいかないですよね。
分かりやすく、波風立てないのは「FPやります!」なので、それを軸にするしかないかな。
情報がオープンになったら社内でどう拡散して、誰から何と言われるのか。
興味もありつつ恐怖でもあります。
送別会ラッシュはいつから始まるのでしょう。
なかったりして(笑)
平成初期にはネット証券はなかった
前回はブログテーマを気にせず平成を振り返りました。
fp-uta.hatenablog.jp
書いているうちに「ネットの普及が投資にもたらした影響の大きさ」に気づいたので、今回はそのことについて書いてみます。
ネット証券、ネット銀行の誕生
自分はネット銀行を愛用し、ネット証券(SBI証券)で投資を行っています。
インターネットが普及し始めたのが平成8年(1995年)頃からでしたので、それ以前にはネット銀行も証券もありませんでした。
調べてみたら平成10年(1998年)に松井証券が最初のインターネットサービスを開始、他の大手ネット証券会社もほとんどが平成11年(1999年)に設立、サービスを開始しています(wiki調べ)。
ネット銀行は平成12年(2000年)のジャパンネット銀行が最初のようです(これもwiki)。
投資のハードルが下がった
ネットのない時代の投資は証券会社の支店窓口に行ったり、逆に証券会社の人が家に来たりして、相談しながら売買の注文を出すという感じでした(一部想像)。
現在も利用している人が大勢いるので、過去形で話すのはよくないですね。
売買注文を出すには証券会社の「人」に直接話して伝えるしかないのです(電話も可)。
サラリーマンのように昼間働いている人にはそもそも物理的にできないことです。
ところが、ネット証券の登場によって夜中でも休日でも注文を出せるようになり、サラリーマンでも投資を行うことが可能になりました。
ネット証券会社は当然お客さんを増やしたいので、その手の広告や記事もだんだん増えていきます。
こうして平成初期にわずかだったサラリーマン投資家も今ではだいぶ増えてきました。
(ちなみに、私が投資を始めたのが平成17年(2005年)です)
自分で考えて投資すること
こうして振り返ってみると、個人が自分の考えで投資を行うようになってからまだ20年くらいしか経っていないのです。意外と短いですね。
「オレの家には証券会社の担当者が訪ねてきて色々情報はもらっているが、言いなりではなくて自分で考えて投資先は決めているぞ」というお父さんもいるかもしれませんが、証券会社は売買の回数を増やしたり販売手数料の高い商品を売ることが自らの利益につながるので、知らないうちにバイアスがかかっています。
ネット証券の場合はそういうことが(ほぼ)ないので、自分で情報を集め自分で決めるしかありません。
もちろん情報の取り方によっては偏りが生じてしまいますし、ネット証券だって売買手数料を得ていることに変わりはありませんので、完全なる「不偏不党」はありませんが、それでも雲泥の差があると思います。
平成の終わりに一言
連休に入ってからも「私」の方でバタバタ感が抜けず、不十分な記事になってしまいました。
平成は大災害やとんでもない事件もありましたし、経済や株価もパッとしない時期が長かったです。
でも、自分が10代半ばから40代半ばを過ごした大切な時代です。
ありがとう、平成。
そして、新たな令和の時代がよりよい時代になりますように。
いや、よい時代とするようがんばっていきたいです。